バッタンボン・シェムリアップ地区返還(フランス植民地時代)

  • 2011.08.02 Tuesday
  • 09:45

おはようございます。
今クメール歴史にハマっていて、大学の補習授業でも希望して歴史本を読ませてもらっている。歴史って、語る人の立場…国籍だとか、思想だとか、時代だとか…そういった環境にかなり影響されるので、クメール歴史でも、語り手がクメール人なのか、フランス人なのか、その他のヨーロッパ人なのか…によってとらえ方、見解がまったくもって違ってくるので面白い。自国の歴史を勉強するのとは違って、他国の歴史を第三者の立場に立って冷静な目で読み進めていくのは、意外に面白いものがある。

あるのであれば、タイ人やベトナム人が書いたクメール歴史本なんかも読んでみたいけれども…クメール語文献ではまだ見当たらない。

一緒に読むのに付き合ってくれているクメール人学生や教授は、「これは違うよなぁ」とか「ここは、こうじゃない」とか読み進める度に言っているけれど(笑)それはそれで、横から聞いていて面白い。今私が読んでいる歴史本はアメリカ人?(オーストラリア人?)が書いたもの。
もちろんアンコール時代やウドン時代も好きなんだけれども、今ハマっているのは、カンボジアがフランスの保護国になり、タイによる、シェムリアップとバッタンボンの支配を解放するくだりは面白かった。

本より抜粋↓
タイは1830年からバッタンボンとシェムリアップを100年程の支配下に置いていたのだけれども、その近く100年の間、シム(現タイ)はシム住民をこの地域に移り住ませる事も積極的に行っていなかったし、クメール住民もそのまま住ませていた。この地方の役人はたくさんのクメール人が占めており、クメール遺跡群にある遺跡を修復などは全く気にしていなかった。価値のある木の伐採などは積極的に行っていた。地理的にも、プノンペンからトンレサップ湖でつながっているので、便利性を考えると、バンコクからの支配は不便だった。1907年の4月フランスとの正式なフランスーシム条約によって返還された。上記に記載したような背景から、タイはそれ程、この地域に執着していなかったし、まず、フランスとの関係にひびを入れたくなかったというものもある。

抜粋終了。

カンボジア、ベトナム、ラオスからなるインドチャイナ支配が幅を利かせていた東南アジアだけに、タイの恐怖心と言うのもあったのかなぁ…なんて。

このくだり、タイ人はどう思っているんだろうかと、興味がある。
カンボジア人はフランス保護時代最大のメリットとして、アンコールワット返還を上げる一方で、カンプチアクラオム、(コーサンシン)地区はベトナムに渡ってしまったとも言う。(実際にそう)

もうひとつ、フランス保護時代は、フランスによる近代化政策に反発するクメール役人や農民との争いが絶えなかったようで、フランス人役人がリンチで殺される事件なども発生したという記録がある。税制度を整える事を一生懸命やり、インフラを急ピッチで整えようとしたんだけれども、長らくの文化習慣、なれあいでやってきたクメール人には受け入れがたかっただろうな。

カンボジアブログランキングに参加しています。
お時間ある方はポチリとよろしくお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ カンボジア情報へ
にほんブログ村

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM